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  • ★協力者の一人として  相京範昭 「あるはなく」第2号1977/9)

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    目次
     わが子との再会
     協力者の一人として  相京範昭
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    協力者の一人として

     私は八木あきさんをアナキズム運動上の活動家として知っていた。農村青年社運動の中心人物であり、「女人芸術」「婦人戦線」らで高群逸枝らと共に活躍していた等だった。 だが、その限りにおいては、特別興味を引くこともなかった。ところが、実際お会いして、その生活を真の当りにし、また話される言葉の節々から感ずるその生き様なるものは、普通の俗にいう主義者のそれとは大変異質なものを感じた。それから繁く通うようになった。

     この2年間、何度か訪問するうち、その話される言葉に込められた表情というものは、どこか醒めた視線を持っていることに気がついた。過去を美しく語るわけでもなく、また悔いるようでもない。<己れの足跡を消しつつ生きる>のではない。己れの足跡に一つ一つケジメをつけ、いまなお明確に刻印するかのように格闘している。その姿は、安易にスルリスルリと世を渡る術を拒否しており、その人達に向けた刃は一瞬も磨くことを怠らないかのようである。

     その毅然とした口調に「はっ」としたことは何度もあった。私に語ってくれた目は時には涙が浮かび、また鋭く光り、遠くを見詰めていた。時にいかんともしがたい運命に、だがそこでも自己を否定すべく問題を引き摺り続ける姿勢に、私は石原吉郎の<断念>という言葉を思い出した。しかし、彼女は83才である。その彼女が「ああ、私は変らなければ......」と発す言葉、その姿勢に、私は<自分の感受性くらい>自分で削いで行きたいという思いがする。
     
     この企画は八木さんの環境の激変から出発した。5月に私の家にみえて具体化し、とにかく出してみようということで進めてきた。通勤の途中や休日にお会いする程度では彼女の期待されることを完全に遂行することはできないのではないかという不安が残る。勿論いうまでもなく彼女の文章で全頁埋まることが理想ではあるが、4人の相部屋に置かれている環境ゆえ私が尋ねる形式でテープからそれを起こすことになった。

     「子供を置いて家を出たこと」に、なぜ焦点を絞ったか。それは表題にあるように、彼女のその後の行動や思考上で、常に立ち戻る処だと私が思ったからで、しかも重要なことはそれが彼女の行動のバネになっていることだった。別の見方でいえば、彼女のその意識を日本の革命運動が内包したところで展開されなかったということが、今まさに私達の課題となっているといえる。1950年に竹内好は「日本共産党批判」で次のようにいっている。

    「思想は生活から出て、生活を越えたところに独立性を保って成り立つものであろう。ところが日本では、生活の次元に止まる未萌芽の思想と、まだ生活に媒介されない、したがって生産性をもたない、外来の、カッコつきの思想があるばかりだ。」


     私が彼女のアナキズム運動上のことか.ら出発せずに、私の独善で彼女の個的な体験からこの通信を出発したのは、真の思想とは何か、ということを彼女を通じて確めたかったからかも知れない。しかし、私の力不足のため、もっと深く広い八木秋子を紙面で暴れさすことができなかった。その意味でも、今後これを読まれた方々の「八木への手紙」載せていき、それに応ずる形で補っていきたいので是非お手紙をいただきたい。勿論、彼女に関する「想い出、感想」、他編集上のことなども、どうか<通信>の意味を理解して、一方通行にならぬよう参加していただきたい。第1号に私が連絡先になっている理由、そしてこの通信の形式など一言あるべきだったのですが、編集上割合しました。その為戸惑った方がおられるかと思います。それは、彼女の所では前述の環境の為事務的なことができないので私が代わりにやるということです。彼女との交通は責任を持ってします。

     また1号発行後、皆様から賛助金を載きました。予約も含まれておると思いますが、勝手ながら5号分まで受け付けます。それ以上の金額は賛助金としてプールさせていただきます。9月7旧現在25、500円、支出は印刷費17、000円、発送費2、240円でした。収支は毎号この欄で報告いたします。なお友人達の印刷所でこの通信が制作され、その多大な協力で産まれたことをこの欄を通じて感謝します。以後不定期かも知れませんが、一応2、3ケ月に1回発行のペースで続けて行きたいと思っております。どうか御協力をお願いいたします。
         送料とも150円


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    「あるはなく」第2号 1977/9/20
       わが子との再会
       協力者の一人として  相京範昭
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